英語学習における「カタカナ発音による英語」の効用と限界についての私見(1)


始めに

日本に帰国すると必ず一日は本屋に立ち寄るが、英語教育・学習関連のコーナーに立ち寄ることは全くと言っていいほどなくなった。英語関連の資格試験は卒業したし、英語教育にも携わることも通訳・翻訳を現時点では目指していないからだ。

したがって近年の出版状況は熟知していないが、少なくとも一時期は「カタカナ英語で十分」、「カタカナ英語でアメリカ人ぽい(イギリス人ぽい)発音を」と題した本がけっこうあった。例えば、unbelievableを「アンビリーバボー」、waterを「ワラー」という具合である。

実は私はアメリカに赴任した際に、この「ワラー」を試したことがある。とある炎天下のトライアスロン・レース中だったが、やっとたどり着いた給水所で水をもらおうとボランティアの高校生たちに「ワラー」とやった。アメリカの異様に甘いゲーターレードではなく、ただ水が飲みたかったのだ。果たして・・・、

 http://www.trimarket.com

 http://trstriathlon.com/

見事に通じなかった。3,4人の女の子のキョトンとした表情が今でも忘れられない。とっくの昔に英検1級やTOEIC 900点以上を取得していたにもかかわらず、情けないことこの上ない。

そんな経験もあって、私はそれ以来「カタカナ英語」には否定的で、「カタカナ英語で十分」という本や言動に対してある種の気持ち悪さを覚えるようになった。渡米後、子どもたちがESL(English as a Second Language)の授業を通して英語を習得していく様子を見ながら、聞く・話すために必須な音に対してはPhonicsが王道なのだろうと今でも思う。

私自身のスピーキングは発音を含めてまだまだ発展途上だが、最近、自分の話す英語が格段に通用するようになったと実感できるようになった。方法論などの詳細は別の機会に譲るとして、2年近くに渡る発音矯正の自主鍛錬の効果が出てきたためだと思われる。と同時に、自分の中で「悟った」ことがある ― なぜ(自分を含めた)多くの日本人が英語を話す際、通じないといったケースが生じるのか。

一言、「英語が通じない」といっても、いろいろなケースがある。発生した音そのものが通じていない場合もあるだろうし、音節やリズム、イントネーションやアクセントが問題となっている場合もある。その他にも文法的に誤っていたり、語彙そのものが不足しているケースもあるだろう。

ここでは「音」に絞って考察するが、筆者の結論を先に述べると次のようになる。
1.  「カタカナ英語」が通用するケースはあるが、通用しないケース、そして間違いなく限界がある
2.  「カタカナ英語」が英語学習において効果的なケースは否定しないが、その限界を熟知する必要がある
3. 上達を望む英語学習者は、なるべく早い時期にPhonicsを中心とした「英語本来の音」を習得する努力、訓練が必須である

特に3については、私は相当な回り道をしてしまったと思う。中学1年の段階で発音記号に親しんではいたが、「英語の音」に対する感性が十分身についていなかったためである。英語教育全体の問題もあり、ほとんどの日本人がそうではあったが、将来的には変えていくことができると思う。

次回以降、私が個人的に考えていることを述べていきたい。

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 余談
 WebでTriathlonのAid Stationの写真を探していて、血が騒いでしまいました。6月のNY州でのレースのWarm up中に地元の新聞社のカメラマンが撮ってくれました。腰痛でぶっつけ本番でしたが、何とか完走できました♪

名前はNolanがEditしました
Athlete John Doe, stretching before start of the 2016 IRONMAN 70.3 ...

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Peter Drucker






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