翻訳練習(9): おっと、 ノンポリって死語かも知れませんね
中国ではほとんど触れられませんでしたが、2014/6/4は中国の天安門事件から25周年でした。
今回は以前紹介したWSJから、天安門事件の際に自由化を求めていた学生たちのリーダーによる文章です。
なかなか良い文章でした。
これも限られた時間の中での試訳なので自分でもまだまだですが、黄色い部分を始め、お手本はとても参考になりました。
英語オリジナル
The Tienanmen Square massacre of 1989 has been banished from the collective memory of the Chinese people. Or so we are often told. It is certainly true that many older Chinese don't want to talk about it, and some young Chinese don't know it happened. But for a society just like an individual, repressing a memory is different from forgetting. Tienanmen continues to reverberate across China.
One proof is the way the Beijing regime remains vigilant against any commemoration of those its soldiers killed. By one count, 48 high-profile dissidents were detained or placed under house arrest this year, and the true number is undoubtedly much higher.Foreign reporters were ordered not to report on "sensitive issues" ahead of the day. A massive security clampdown got under way, apparently aimed at ensuring that June 4 this year passes unremarked in the capital. This is not amnesia. It is anxiety.I'm often asked whether the Chinese authorities have successfully turned their people apolitical. My answer is always the same: Yes, to a certain extent.Their methods include the censorship of key words in Internet searches and on social media. The state-owned media are tightly censored, and anyone who attempts to spread dissident views will be arrested and their family mistreated. It is no wonder that most Chinese don't even contemplate speaking out.As a result, there are many young people in China who know next to nothing about what happened on June 4, 1989. But, I always continue, those young people don't matter. The point is, up to 100 million people took the streets against the Chinese Communist Party in 1989, and they remember.In short, enough people remember, and those who do are the ones who really count.
後略
試訳
1989年に起こった天安門広場の大虐殺の記憶はことごとく中国の人々から消し去られてしまった。あるいは、しばしばそのように伝えられている。確かに、中国の多くの年配者はその事件を語りたがらないし、若者たちはその事件が起こったことも知らないということは明らかな事実だ。しかし、個人と同じように、ある社会が記憶を抑圧するということは忘れ去ることとは違うのだ。天安門の記憶は中国全土に渡って反響し続ける。その証拠に、中国の統治者たちは死んだ兵士たちを弔う動きに対しては一貫して警戒し続けている。ある調査によると、その際に48人の中心的反乱者が拘留され、あるいは軟禁されているという。しかし、本当の数字は明らかにもっと高い筈だ。記念日に先立ち、外国人特派員たちは”センシティブな案件”に対する記事を慎むようにと命じられていた。大規模な治安維持のための弾圧が行われていたが、これは明らかにこの6月4日が中国首都においては取り沙汰されることがないことを狙っていた。けっして記憶喪失などではない。不安神経症なのである。私はしばしば質問を受けてきた―中国当局は中国人民を政治的ノンポリに仕立てることに成功したのだろうかと。。その質問に対する私の回答はいつでも同じである。その通り、しかもかなりのレベルにおいて。彼らのやり方の一つとして、インターネットやソーシャルメディアにおけるキーワードは彼らによって検閲されている。また、国有のメディアも厳格な検閲を受けている。もし誰かが反対派の視点を紹介しようものなら、彼は逮捕され、その被害は家族にも及ぶだろう。中国人の大部分が黙り込んでいるのもなんら不思議ではない。結果として、中国ではたくさんの若者が1989年の6月4日に何があったのかほとんど何も知らないのだ。しかし、私はいつもこう続ける。こうした若い人たちはいい。肝心なことは、1987年に、1億人以上の国民が中国共産党に対して立ち上がり、それを今でも覚えているということだ。
つまり、十分な数の国民がこの事件を記憶し、逆にこうした人々の存在こそがとても重要なのだ。
お手本
1989年に起きた天安門広場での虐殺は中国の人々の集団的記憶から消え去っている。もしくは、よくそう言われる。多くの年配者はそれについて語りたがらず、事件があったことを知らない若者がいることも確かだ。しかし個人と同様、社会にとっても、記憶を抑え込むことと忘れることは違う。天安門は中国全土で語り継がれている。
その証拠に、中国政府は兵士が殺害した人々を悼むいかなる行為に対しても警戒を怠っていない。ある統計によれば、今年は反体制派として知られている48人が拘束もしくは自宅監禁されたが、実際の人数は間違いなくそれよりもはるかに多い。
天安門事件が起きた6月4日を前に、外国の記者は「微妙な問題」を取材しないよう当局から命じられた。大規模な取り締まりが行われたが、北京で6月4日という日が何事もなく過ぎ去ることを保証するためだったのは明らかだ。記憶喪失というわけではない。不安なのだ。
中国当局は人々から政治的関心を奪うことに成功したのか、と私はよく聞かれる。私はいつもこう答える。「その通り。ある程度までは」と。
彼らのやり方には、インターネットの検索やソーシャルメディアでやりとりされるキーワードの検閲が含まれている。国営メディアは厳しく検閲され、反体制的意見を広めようとする人は誰であろうと逮捕され、家族は不当な扱いを受けることになる。中国人のほとんどが声を上げようとしないのは不思議ではない。
その結果、1989年6月4日に何があったのかほとんど何も知らない若者が中国には数多くいる。だが、私はいつも言うのだが、こうした若者は問題ではない。重要なのは、1989年に1億もの人が中国共産党に立ち向かい、それを覚えているということだ。
端的に言えば、これを覚えている人々が十分に存在していることこそが本当に重要なのだ。中国の指導部にとって深刻な問題になるほど、天安門事件のことを覚えている人たちが十分にいる。あの記憶はそれほど強烈だからだ。再び運動を拡大させる状況が整えば、人民を代表して統治しているという共産党の主張をすぐに一掃できるだろう。
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