翻訳練習 (6) : フランシス・フクヤマ

実は先週の中ごろには訳してしまっていたのですが、始めの5段落の英語原文と、試訳、そして日本語サイトにあげられたお手本の翻訳です。

リンクはこの記事の最後に載せましたが、有料会員以外でもまだ全文が読めることを祈ります。

今回も時間の関係であまり時間を掛けずに試訳を作ってしまいましたが、それでも良い練習になりました♪

Russia is a menacing electoral authoritarian regime fueled by petrodollarsにおいて、petrodollarsを「原油マネー」としてしまいましたが、確かに一般的には「オイルマネー」ですね・・・

The year 2014 feels very different from 1989において、feelのニュアンスを入れ込むことに実は私はけっこう苦労したのですが、お手本ではあっさりと切られてしまっていますね。

未だに切り捨てて良い部分と、いけない部分(意訳してしまってよい部分も含む)の判断に苦しんでいます。

The problem in today's world isn't just that authoritarian powers are on the move but that many existing democracies aren't doing well either において、democracies aren't doing well eitherを「民主主義国家も十分な役割を果たしていない」としてしまいましたが、これは明らかに意訳しすぎで、お手本はきれいにまとめていると思います♪

オリジナル


Twenty-five years ago, I wrote the essay "The End of History?" for a small journal called the National Interest. It was the spring of 1989, and for those of us who had been caught up in the big political and ideological debates of the Cold War, it was an incredible moment. The piece appeared a few months before the fall of the Berlin Wall, right about the time that pro-democracy protests were taking place in Beijing's Tienanmen Square and in the midst of a wave of democratic transitions in Eastern Europe, Latin America, Asia and sub-Saharan Africa.

I argued that History (in the grand philosophical sense) was turning out very differently from what thinkers on the left had imagined. The process of economic and political modernization was leading not to communism, as the Marxists had asserted and the Soviet Union had avowed, but to some form of liberal democracy and a market economy. History, I wrote, appeared to culminate in liberty: elected governments, individual rights, an economic system in which capital and labor circulated with relatively modest state oversight.

Looking back at that essay from the present moment, let's begin with an obvious point: The year 2014 feels very different from 1989.

Russia is a menacing electoral authoritarian regime fueled by petrodollars, seeking to bully its neighbors and take back territories lost when the Soviet Union dissolved in 1991. China remains authoritarian but now has the second-largest economy in the world, as well as its own territorial ambitions in the South and East China Seas. As the foreign-policy analyst Walter Russell Mead recently wrote, old-fashioned geopolitics has returned big time, and global stability is being threatened at both ends of Eurasia.

The problem in today's world isn't just that authoritarian powers are on the move but that many existing democracies aren't doing well either. Take Thailand, whose frayed political fabric gave way last month to a military coup, or Bangladesh, whose system remains in thrall to two corrupt political machines. Many countries that seemed to have made successful democratic transitions—Turkey, Sri Lanka, Nicaragua—have been backsliding into authoritarian practices. Others, including recent additions to the European Union like Romania and Bulgaria, are still plagued by corruption.


試訳


25年前に私は『歴史の終わり?』と題したエッセイを『ナショナル・インタレスト(国益)』という小さな雑誌に書いた。1989年の春のことだ。冷戦時代の大々的な政治的、イデオロギー的な論戦に携わってきた我々にとって、信じられない瞬間だった。そのエッセイが刊行されたのは、ベルリンの壁が崩壊するほんの数ヶ月前、そして北京の天安門広場では民主化運動が起こったのとほぼ時を同じくし、東欧、南米、アジアそしてサハラ周辺のアフリカでは民主化への波が沸き起こっていた最中だった。

その際に、歴史(根本となる哲学的な意味において)は左派の思想家が想像したようにはならなかったと私は論じた。経済的かつ政治的に近代化するプロセス は、マルクス主義者やソビエトが断じたような共産主義へと向かわず、どちらかというと自由でかつ民主化された市場経済へと向かった。歴史は自由という名の 下に結実したようだと私は書いた―選ばれた政府、個人の権利、国家の適度な監督によって資本と労働力が循環する経済システムといった具合に

当時のエッセイを今から振り返りながら、誰の目にも明らかなポイントから始めよう―2014年は1989年とは大きく異なると感じられるという点である。

ロシアは原油マネーを背景に、選挙制であるとはいえ、脅威的な権威主義国家となっている。そして近隣諸国を脅かし、1991年にソ連が崩壊した当時の領土 を取り戻そうと目論んでいる。中国は相変わらず権威主義国家でありながらも、今では世界第2位の経済力を持つようになると同時に、南アジアと東シナ海で領 土的な野心持つようになった。最近になって外交政策のアナリストであるウォルター・ラッセルは、「旧態依然の地政学が返り咲き、ユーラシア大陸の両端で世 界平和に対する脅威が高まっている」と書いている。

今日の世界の問題は、単に権威主義的国家の台頭だけではなく、多くの民主主義国家が十分に役割を果たしていないという点にある。タイを例に見ても、疲弊し た政治的な構造から、先月軍事クーデターに屈してしまった。またバングラディッシュは腐敗した2つの集票組織に翻弄されている。民主政権に移行しかけてい た国家(トルコ、スリランカ、ニカラグア)はもとの独裁政治へと後戻りしようとしている。近年EUメンバーとなったルーマニアやブルガリアといった他の 国々も、腐敗構造に未だに苦しめられている。

日本語翻訳のお手本


25年前、私は「ナショナル・インタレスト」という小さな雑誌に「The End of History?(歴史の終わり?)」と題する論文を書いた。時は1989年春。それまで冷戦について大きな政治論争、イデオロギー論争に夢中になってい た私たちにとって、それは信じられないような瞬間だった。論文が掲載されたのはベルリンの壁が崩壊する数カ月前のことで、北京の天安門広場でちょうど民主 化を求める抗議運動が起きていたころだ。東欧、ラテンアメリカ、アジア、サハラ以南のアフリカでは民主主義への移行の波が起きていた。

当時私は、(大きな哲学的な意味での)歴史が左派の思想家の想像とは大きく異なる方向に進んでいると主張した。経済と政治の近代化を進めた結果、行き着い たのはマルクス主義者やソ連が主張していたような共産主義ではなく、ある種のリベラルな民主主義と市場経済だった。私はこう書いた。歴史は最終的に自由、 つまり選挙で選ばれた政府、個人の権利、国家が比較的緩やかな監視を行う中で資本と労働が循環する経済システムに到達するようだ、と。

今、この論文を振り返りながら、2014年と1989年では環境が大きく異なっている、という明らかな一点から議論を始めよう。

ロシアはオイルマネーによって支えられた選挙制の威嚇的な権威主義体制をとり、近隣諸国を脅し て、1991年のソ連解体時に失った領土を取り戻そうとしている。中国は以前と変わらず権威主義的だが、今では世界第2位の経済大国となり、南シナ海と東 シナ海では領土拡張の野心を示している。外交政策アナリストのウォルター・ラッセル・ミード氏がつい先日書いていたように、時代遅れになっていた地政学が 本格的に復活し、世界の安定がユーラシア大陸の両端で脅かされる事態が起きている。


  今の世界が抱える問題とは、権威主義的な大国が勢いを増していることだけではない。多くの既存の民主主義国家も成功しているとは言えないこともまた問題な のである。タイを例に挙げよう。ぼろぼろになったタイの政治体制は先月、軍のクーデターに屈した。バングラデシュはどうかと言えば、堕落した2つの政治団 体にいまだに支配され続けている。トルコ、スリランカ、ニカラグアといった多くの国が民主主義への移行に成功したように見えていたが、権威主義に逆戻りし てしまった。最近になって欧州連合(EU)に加盟したルーマニアやブルガリアなどは、今でも汚職に苦しんでいる。



英語オリジナル

25 Years After Tiananmen Square, Liberal Democracy Still Stands

日本語翻訳

【寄稿】民主主義は今も「歴史の終わり」=フランシス・フクヤマ氏


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